知らず知らずに身についた「あるべき論」は恐ろしい
ちょっとアポの間に空き時間ができたので、昼休憩の時間を使って頭の中を整理すべくブログを書いています。
最近感じたことで、自分の中の「あるべき論」は怖いなと思った。
仕事でもプライベートでもあることだが、どんどん自分の中にルールができるというか、「これってこう”あるべき”だよね」というものができてくる。
営業はこうあるべきだ、企画はこうあるべきだという具合に。
それは過去に体験したことや本で読んで取り入れたこと、教えられたことなどを経て、その論が構成されているのだが、その論は大概間違っていることが多く、それが故にいろんな人とコミュニケーションを取らないと生きていけないこの世の中で失敗をおかしてしまう。
賢い人はおそらく、そのあるべき論というものがAタイプ、Bタイプ、Cタイプに向けてなどいろんなバリエーションを持っているか、あるいは自分でそういったルールを作らない人だと思う。
たまたまAタイプの人と多く接していて、「こうあるべき」が構築されていき、自分がレベルアップしたのか接する人が変わる、あるいは環境が変わって接する人が変わった時に相手から「なんだこいつは」と思われてしまうのだろうと思う。
いつのまにやらコミュニケーションがずれていき、結果的には同じ人がまわりにいて、自分の成長が止まってしまうのではないかと。
また、物事を見る時も一つの視点で見るのと多方面からの視点で見るのでは、学ぶことも感じることも、思いつくことも違ってくる。(当たり前だが)
仕事上では「あるべき論」だけなのだが、プライベートになるともっとややこしい。
あるべき論に加えて、欲望が乗っかってくる。
例えば、彼女と週に1回会いたいという欲望があり、そして彼女と週に1回は会うべきだという自分の中の視野の狭いあるべき論があって、欲望とあるべき論の両方を自分の中で納得しないといけない。
別に世の中のできごとにこうあるべきというものは存在しない。
だからこそ、仕事ではいろんなパターンを自分の中に用意し、いろんな方向から見て見たり、プライベートでも相手を想う気持ちはあっても、決して自分の中のあるべき論を押し付けてはいけないなと痛感する日々である。